金沢らしさとは何か?

金沢らしさとは何か?

かつて、金沢らしさは路地裏にあった

「金沢は武家文化の街」
最近こういう謳い文句がよく聞かれるようになった。
山出前市長や秋元氏(21世紀美術館元館長)の本にも、
金沢は「武家文化をベースとした創造文化都市」と書いてある。

金沢を評価してくれるのはありがたいのだけど、
どうも江戸時代に人口の過半数を占めたという町民らによる
狭い町家や路地を舞台とした町という側面が、
全く無視されているのではないか?と違和感を感じている。

金沢らしさとは、そんな町民らによって作られた、
情緒豊かな町並みにもあったのではないかと思うのだ。

それは表面的な美しさではなく、生活の匂いだとか
奥行きが感じられるものだと思うのだけど、
近年金沢で注目されるのはモダンな建物だったり、
アートを気取った工芸品だったり、派手な金沢グルメだったりと、
なにやら派手で分かりやすいものばかりだ。

一方で、かつての「人間味のある路地裏の風景」なんて
金沢の一体どこに残っているのだろうか?

以前の金沢の町並みとは?

金沢の伝統的な町家は細長く、
間口は二〜三間(3.6〜5.4m)程度で、敷地面積は30坪ほど。
狭い街路沿いにそんな建物がひしめくように建っていた。

江戸時代の人口密度は地域によっては
100メートル四方で最大800人程にまで達していたという。
これが人口の過半数を占めた町人町の姿なのだ。

一方、武士は大きな屋敷に住んでいた。
広さは平均260坪程度。敷地は土塀で囲まれており、
樹木で覆われた庭に60坪ほどの屋敷が建っているのが平均的だった。
町全体の6割が武家屋敷で、遠目には街全体が森のように見えたそうだ。
現在の長町武家屋敷や市街地に残るいくつかの庭園がその名残だ。

昭和の終わり頃までは、その時代の名残をとどめた街並みが
まとまって残っていたけれど、今は観光地以外ほぼ残っていない。

余談だけど、金沢出身で大正〜昭和初期に活躍した
室生犀星の小説に、以前の金沢の町並みについてよく描写されている。
自伝的作品の「幼年時代」「性に眼覚める頃」をおすすめしたい。

子どもたちの消えた旧城下町

自分の幼少期は昭和の終わり〜平成の初め頃になるが、
その頃でも放課後に駄菓子屋に立ち寄ったり、用水や神社で遊ぶことはあった。
尾山神社や本多の森は単なる観光地ではなく、子どもの遊び場でもあった。
旧城下町は今より地元の生活のための場所であったのだ。

しかし、今の金沢の観光地で地元の子供たちが遊ぶ姿を見るだろうか?
竪町をぶらつく中高生ですら今や少ないのではないか。
その辺りに『今の金沢の問題』が凝縮されているように思う。

観光地・金沢の見かけの活況の光と影・・・

「昔ながらの町家の不便な生活に戻れ」と主張しているワケではないのだけど、
旧城下町から市民の生活感が薄れていることに、強い懸念を感じている。
今の金沢に足りないのは、地元の人々による人間臭い営みではないだろうか?

(2018年9月ブログ移転の際に一部加筆)