高岡ディープぶらり旅

高岡のまち歩きイベント

「まち歩き」が静かなブーム

高岡市内で空き家活用やワークショップを企画されている
「高岡まちっこプロジェクト」。そこで不定期で行われている
まち歩きイベントに参加した。

最近はテレビ番組「ブラタモリ」の影響なのか、
全国各地でまち歩きイベントが静かなブームのようだ。
このイベントもブラタモリの高岡版という雰囲気で
好奇心が大いに刺激される内容だった。

高岡の歴史を紐解く「まち歩き」

東工大の准教授の方や研究室の学生らと、
大正時代の地図を片手に、金屋町と山町筋の間のエリアを巡る。

寺院跡の駐車場にて。一帯は空き家が多い。
普段、高岡の中心部で暮らしていてもほとんど通らない、
忘れられたような山町筋の裏通りを歩く。

表通りの山町筋は元金融街。そして、上の写真の裏通りこそ昭和初期まで
高岡最大の繁華街(花街)だった。まずその事実に驚いた。
高岡で最初にガス灯が取り付けられたのも、この通りだという。
・・・失礼ながら、全く面影がない。

山町筋は問屋が集積し、莫大な利益を上げていた。
そして、裏通りには自然と繁華街が形成されていたらしい。
ある資産家は、北海道の漁業権を持っていたり、
東京・銀座の有名なビルをいくつも所有したりと
途方もない大金持ちだったそうだ。

「高岡が富山市より賑わっている」とか、
「高岡はお金持ちが多い」という都市伝説は、
そういう歴史が背景にあるのかと少し納得した。

こんな立派な佇まいの銭湯跡もある。

酒屋の隣は芝居小屋だった。裏で建物が繋がっていたそうだ。
店主の解説によると、美空ひばりなど芸能人が公演に訪れ、
人目を避けて、このお店から出入りしたという。
一時はストリップ劇場だったこともあるらしい。
(高岡中央劇場・現在は駐車場となっている)

続いて料理旅館の痕跡を辿る。この界隈には、
「望世喜楼」「勇木楼」「中島楼」などがあったそうだ。
今は塀が少し残っているくらいで、建物は一切残っていない。

個人的に興味深かったのは、この廃幼稚園。
1990年頃まで、お金持ちのご子息が通う名門幼稚園として存在したそうだ。
その前は料理旅館で、近年になって室生犀星の母のゆかりの場所と
分かってきたらしい。自伝的小説「幼年時代」に登場する母は、
この場所にあった料理旅館の芸者だったということになる。
・・・何かと高岡と金沢は縁が深い。

材木店の敷地に残された建物。
明治26年に設立された高岡紡績株式会社の社屋跡らしい。
「ドイツ壁ですねぇ」と建築学生がニヤリ。
・・・そんなことより今にも崩れそうな外壁が気になる。

高岡の凄いところは、こういう明治時代の建物が
ごく普通に残っていて、観光地化されずに放置されていることだ。

案内役の准教授の方も、高岡のそういう所に興味を持ったのだという。
ちなみにこの場所は1978年公開の邦画「野性の証明」ロケ地でもあった。

こちらも明治時代の建物。元銀行を移築した一般住宅という。
その巨大さに驚く。こんなのが住宅街に紛れているのだから
高岡は実に奥が深い。

その後、千保川沿いの川原町へ。
その昔、越中(富山)の魚は全て高岡で取引されており、
魚市場を中心にとても栄えていたそうだ。
(その頃、氷見や新湊に魚市場は無かった)

最後は西繊ビルの屋上に登り、これまで巡り歩いた町を見下ろして解散した。
以上、2時間余りの街歩き。なんだか充実した大人の休日だった。
今はネットでググれば、色んな知識が手に入る時代だけど、
だからこそ、ググっても出てこない雑学が面白い

今回のまち歩きで感じたこと

これで終わるとただの受け売りの情報になってしまうので
最後に自分の所感を書きたい。

高岡の栄華を偲ぶような街歩きだったが、ぼんやりと感じたことは、
産業が衰退し人口が減っていくと、どうやら「豊かな場所」から
先に失われていくものらしい。立派な建物も結局あまり残っていないのだ。

だから「これから日本は人口が減って住みやすくなる」
なんていう論説は半分くらい間違いだと思う。
そういう国でいかに工夫して楽しく暮らせるのか?
そこが自分たち世代の課題だろう。

街が衰退しても、今の高岡中心部にどことなく居心地の良さを感じる辺りに
何かヒントがあるんだろうな。・・・そんな思いを強くした一日だった。

◎こんな方にオススメ
・高岡のまちなかの歴史、雑学が気になる方

◎注意したいコト
・参加は要事前申し込み、参加費が必要
・開催スケジュールの確認、申し込みは公式サイトから受付
http://machicco.strikingly.com/